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廃止2年前の夏休み、名寄に泊まって朝1番の直通に乗った思い出があります。他からの接続がないのでファンらしき人もいませんでした。懐かしい動画、ありがとうございます
動画が気軽に撮れる時代ではなく、わずかばかりの音声ですが、遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
美幸線が線名通り北見枝幸行きと言う放送も聞いて見たかったです。ほかは乗り換え案内の急行なよろとか懐かしく感じました。
いつかは北見枝幸まで繋がるものと思ったものでしたが、夢と消えてしまいましたね。工事も大分進んでいたようなので残念なことです。
貴重な音源ありがとうございます。私は昭和60年8月に美幸線に乗りに行きました。乗車前に当時の長谷部美深町長にアポイントを取ってお話を伺ったことは貴重な思い出です。
それはまた貴重な体験を。積極的に行動されたのですね。
いつも懐かしく拝聴させていただいております。道内時刻表とともに拝見しておりますが、過去に自分が辿った航跡を思い出しております。今回は「なよろ4号」に目が止まりました。稚内から天北線724Dで浜頓別‐北見枝幸、宗谷バスを介して、雄武‐興部‐名寄へ、そして札幌直通の「急行なよろ?号」に乗り継いだことがありました。まだ「特急オホーツク」がなかった昭和46年8月の乗車です。なお、上下「急行天北」同志の交換は豊清水?だったかも。
昔の旅の記憶を思い起こして頂けましたら嬉しいです。「なよろ4号」の音声は物足りなかったことと思います。天北の交換が豊清水との情報を有難うございます。録音当時はこんな形で公開できる時代がくるとは、まったく思いませんでしたが、記録は取っておくべきですね。美深では「30秒停車」と案内していることから、遅れが生じ、停車時間を詰めている様子ですね。
当時赤字廃止路線の象徴のようになっていた美幸線。映画ぽつぽやを見るたび国鉄美幸線を思いだします。一度も乗ったことないですが映画で追体験しています。こうして実在の記録が聞けてまたそのイメージが湧いてきました。
乗ったことがある人も、ない人も、人それぞれに様々な思いがあるのですね。仁宇布から先の未成線にも、きっと人々の思いがあることと思います。
名寄本線の遠軽行き、深名線の放送などある名寄駅の放送いいですね。北海道の黄金時代を彷彿とさせます。
名寄本線と深名線があった頃の名寄は本当に「鉄道の街」という風格がありましたね。今やそんな風格を感じる駅も少なくなりました。
嘗て日本一の赤字路線で有名だった美幸線の車内放送も貴重ですね。当時の美深町長が東京で切符を売り捌いたエピソードが思い浮かんできます。
そんなエピソードも遠い昔の話になってしまいましたね。宗谷本線だけでも存続してほしいものです。
待ってました!そしてグレードアップする画面編集。この動画に釣られて?ついつい函館本線往復乗りに行ってしまいました。
わたしの番組に釣られたわけではないと思いますが、函館本線乗りに行ってきていいですね。特に目的がなく、ただ乗るだけの旅も楽しいものです。
またまた たまらない音源ありがとう 毎回最高です
有難うございます。この程度の音源でも「最高」と言って頂ければ、やはり嬉しいです。
こんばんは 仕事があり書き込みが遅れてしまいました。「美幸線」ですね。以前、北見枝幸に友人が住んでいました。「美深」から「歌登」を経由して「北見枝幸」まで、開通していたらオホーツク海側も今と違っていたのでしょうか。「興浜北線」「興浜南線」かつながっていたら。と、想像してしまいます。短時間でも「美幸線」の音声は貴重ですね。この当時は、赤字でも、まだ列車を運行する余力がありましたね。お弁当の包装紙とお弁当の中身が面白かったです。結構色々な具材が詰められていたのですね。美味しそうです。牡蠣・帆立弁当は豪勢ですね。包装紙の国鉄の回数券の宣伝が面白い。三寒四温 少しづつ春が近づいてきますね。あと、1か月もしないで桜の花が咲きそうです。今回も楽しめました。ありがとうございました。
「記録」というより「娯楽」として作っていますので、楽しんで頂けましたら何よりです。いつかは興浜北線・南線が繋がり、美幸線も北見枝幸に達するものと思っていましたが、かなわぬ夢となってしまいました。それどころか天北線までもがなくなってしまいました。駅弁を開いて、食べる前に写真を撮ったりするのはデジカメを手にしてからだと思います。今はスマホで動画も撮れる便利な時代になったものです。昔は駅弁の掛け紙に「お気づきの点は国鉄係員にお知らせください」などとも印刷してあったものでした。時代を感じます。
この頃は、「あさひがわ」なんですよね。懐かしい響きです。配信、ありがとうございました。
内部でも「がわ」に統一されていたわけではなく、列車内では時々「かわ」という放送も耳にしました。でもさすがに旭川駅ホームの放送は「がわ」に統一されていました。
道北民オッサンなので当時が良く思い起こされます。確かにあの時代、父ちゃん爺ちゃん世代みんな仁宇布を「にっぷ」と発音していました。あの頃は漢字表記とは明らかに異なる地元読みがいっぱいありました。東旭川は忠実に辿れば「ひざしあさいがわ」。寒冷地特有の、口の動きを最小限にした結果、文字と口調が現場で違う異様な環境という。
発音ひとつにも道北の厳しい寒さが伝わってくるようです。
廃線や廃駅巡りをされているひろりんさんの動画にて、天北線や美幸線の現在を知りました😀この動画を拝見して、行ったことがないのに懐かしく感じられました😅
すでに遠い昔になってしまった天北線や美幸線。ほんの少しでも雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
まさかの美幸線!貴重な音源ありがとうございます。仁宇布には車で行ったことはあります。美幸線は廃止になるのは仕方がないにしても、天北線と興浜北線、興浜南線を繋いだ興浜本線、名寄本線はなんとか残してほしかったです。本当に国鉄時代に北海道に行って乗り回したかったです。
タイトルに「美幸線」と入れましたが美幸線の音はほんの少しですみません。道北の路線もすっかりさびしくなってしまいました。なんとか残してほしかったというより、美幸線の仁宇布から先もなんとか開業してほしかったです。大分工事も進んでいたそうなので。
こんにちわ いつも楽しい動画ありがとうございます。私は先だって、北海道新幹線に乗車し現在のJR北海道全線を完乗いたしました。その間も江差線、夕張線、札沼線(北海道医療大学~新十津川)、日高本線(鵡川~様似)とかつて乗車した路線が次々と廃止となり、思うことがあります。「自分は真の完乗には足りないな」と思うようになったのです。もう少し早くに北海道にいけていれば、私の最初の渡道はS62です。もっと多くの路線に乗れたのではないか、当然美幸線もTVで何度も見た覚えがあります。かつて、網の目のように走っていた北海道の国鉄路線当時学生であった私は北海道へいく旅費もありませんでした(笑)もう少し早く生まれていればと無茶なことを思ったり(笑)するときもありますが、「急行宗谷」様の動画は私にとっての残された路線の乗車旅となっております重ねて御礼申し上げます。長文失礼いたしました。🚄
こちらこそ丁寧なコメントを頂戴して恐縮です。いつの時代でも、「もっと早く行くことができたら・・・」と思う気持ちは一緒ですね。古い時刻表を眺めると、子供の頃の一人旅は無理ですし、乗ってみたかった路線、列車、沢山あります。素人が安い機材で録音した粗末な音声ですが、画面に挿入した当時の時刻表などを眺めながら旅の気分に浸って頂けましたら何よりです。
名寄駅の発車のベルが電子音のチャイムなどではなくて本物のベルであるところは味があってイイですねぇ(^^ )。
この発車ベルもほとんど耳にすることがなくなりました。当時を知る者としては郷愁を感じたりもしますが、いまどきこんなベルを鳴らしたら「何か起きたのか・・・」と驚く人もいるかも知れませんね。
当時日本一の赤字線と言われていた美幸線ついに乗ることなく廃止されてしまい、行くことはかないませんでした。その時代に乗れたことがうらやましいです。
「美幸線」と言えば「日本一の赤字線」という言葉が必ず付くくらい有名になってしまいましたね。年によっては「日本一の赤字脱却」で美幸線をPRしたこともあったと記憶しています。
@@急行-宗谷様そういえば、日本一を九州の漆生線と争っていましたね。
全通できなかった美幸線の無念を歌にした動画を見ましたが、いつか全通した日の事を想像して思いをはせる歌詞に心が打たれました。世間から見たら、日本一の赤字線だとか、全通しても黒字なることはないと罵られた美幸線でしたが、町長が、自腹で入場券を買って、それを東京で売って、収益を全額国鉄に寄付するなど想いの熱かった美幸線、無理だとわかっていても、興浜線と一つになって、オホーツク海縦貫線になる日を見てみたかったです。
仁宇布から先の工事も大分進んでいたそうで、雑誌の記事などを見て、いつかは乗れる日が来るもの思ったものでしたが夢はかないませんでした。
美深線はいまは一部線路をトロッコで走れるそうですね。一度行ってみたいです。当時のことを思い馳せながら
行くことはできませんが、写真や動画は観ることができますね。廃線跡にトロッコを走らせるのは利用法としては恵まれている方だと思います。
たった3駅でも21km、30分。乗車した時に、案外長いなぁ、と実感したことを覚えています。
北海道は駅間が長いですよね。でも、ぼ~っと車窓を眺めていると時間はあっという間に流れていました。
私がキハ53系「天北」と美幸線に乗車したのはちょうど40年前の夏、高校1年時の一人旅でした。録音当時の美深駅は貨物取扱の側線や設備がたくさんあったのですね。「天北」の交換はわかりませんが、旭川~稚内の各駅停車321列車と324列車の交換が美深駅でした。興浜線は、興浜南線からは宗谷バス乗り継ぎ、興浜北線と進み、浜頓別ユースホステルに宿泊しました。このあたりの思い出は強く残ってます。興部の駅弁も懐かしいですが、和寒駅で駅弁を販売していたとは。名寄駅のピヤシリ弁当、買ったことはありませんが名前に聞き覚えありました。
遠い昔の旅を思い出して頂けましたら嬉しいです。正にどの線区にも人々の思い出あり・・・ですね。浜頓別ユース・・・懐かしい響きです。元気のいいユースとしてその名を轟かせていましたね。わたしなどは小心者なので逃げ腰になって泊ったことはありませんでした。ネットで調べたら2004年に閉館になったそうですね。1日5往復の美幸線ですが、「上り天北」からだと美深で約1時間待ち、「下り天北」からだと約1時間半の待ち合わせで乗ることができました。2時間以下ならまあ好接続と言えますね。美幸線が北見枝幸まで達していたら、「天北」に美幸線直通車両を併結・・・な~んて空想の世界ですが・・・
2:20車掌さんのアナウンス「にうぷ」じゃなくて「にっぷ」に聞こえますね。美幸線も乗りたかったですけど、枝線に時間使うより他にで、乗れませんでした。3:36美深駅スタンプは松山湿原だったんですね。松山湿原はバイクで行きました。5:45名寄駅ピヤシリ弁当の掛け紙、食べたことないですけど見れて嬉しいです。きのこごはんという駅弁もあったんですね。6:18牡蠣帆立弁当も美味しそうですね。これなら食べたかったです。厚岸かきめしは81年ホーム立売で食べられました。音のみならずスタンプと駅弁で当時の旅情を思い出せました。
「ピヤシリ弁当」は時刻表の駅弁案内ではただ「お弁当」とだけ記されています。中身までは覚えていませんが、普通の幕の内といった感じだったと思います。この頃はコンビニ弁当などなかった時代ですから、「とにかく何か食事ができればいいや・・・」という感じで食べていました。スタンプや駅弁の掛け紙など、過去に使った画像の使いまわしがが多くなっておりますが、旅情を感じて頂けましたら嬉しいです。
「全線開通しないから、日本一の赤字線になるんだ!」(同時の美深町長の言葉...😢)
完成したら「日本一」ではなくなったかどうかは別として、乗ってみたかったです。
美幸線は結局北見枝幸まで開通出来ずに、そして北見枝幸が終点だった興浜北線も廃止になり、そして興浜北線の起点の浜頓別駅までもが天北線の廃止とともに消えてしまいました。何か虚しいですね.,.
未成線や、廃止になってしまった路線を思うと確かにその通りですが、宗谷本線さえも名寄から先は「単独では維持できない線区」とのこと。自然災害などの被災を機会に廃止論が生じないことを祈るばかりです。
行った事もないのに「松山湿原」の名前だけは知っている。「美深」から「歌登」を通って「北見枝幸」まで行ってみたかった。
完成した美幸線に乗ってみたかったです。今は浜頓別経由ですら、列車で北見枝幸へ行くことはできなくなってしまいました。
美幸線に乗ったのは40年近く前。辺渓駅から仁宇布まで、ずいぶん遠いなぁ、と思った記憶があります😊
仁宇布から先も開業していたらそんな長い駅間を楽しめたかもしれませんね。天北線の小石~曲淵間が、途中に信号場もない駅間としては最長だったということもあり、道北の広さを感じます。
@@急行-宗谷 さん急行「天北」号には乗ったことありますが、天北線には乗れませんでした。普通列車で乗り通したかったです。
小頓別から枝幸行きのバスがありましたよね。町営軌道の名残りでしようか?
ひょっとして歌登町営バスなんていうのが運行していたのかな・・・と思って時刻表を調べましたが宗谷バスでした。
宗谷バスです。音威子府からの代替バスもなくなりました。
名寄といえば、平成生まれの個人的には、ニシン•カズノコ弁当が、ここ最近の思い出ですね~。いつかは食べたかったけど、閉業してしまい、食べられないと思っていた、名寄の駅弁。ところが2019年の夏、風っこそうや号の期間、乗客の事前予約制で復活!幸運な事に、弟が、10時打ちに成功して、めでたく実食できました。同封の紙によると、復活にあたり、現役当時、名寄の駅弁を担当していた、角舘商会様の多大なご協力があったようです。長文、大変失礼いたしました。
名寄本線や深名線があった頃は名寄で乗り換えがあったので、名寄駅の駅弁にはお世話になりました。コンビニなどなかった時代でした。「角舘商会」さんの名前を意識するようになったのはインターネットの情報によるものでしたが、よくぞ平成時代まで頑張っていたものだと思います。イベントのお弁当作りに協力されたそうですが、願わくは後継者ができて復活すると嬉しいですね。
辺渓と仁宇布って15キロもあったんですねいかに何も無い山の中を走っていたことか
山の中を走ろうとも必要があったから敷かれた路線だったのですね。枝幸町で上がる水産物の輸送が期待されていたそうですね。
北見枝幸まで開業してたら違ったと思います。枝幸町は名寄以北では稚内に次いで第二の都市ですからね。途中に歌登もありますし天北線よりも営業成績は良いはずです。赤字であることには変わらないですが。
そうですよね。仁宇布から北見枝幸までの工事もだいぶ進んでいたそうですからやめてしまうのは惜しかったです。
美幸線備考線・ビコー線(競馬してるやつならわかる)仁宇布線もあり。自虐線だったなぁ
廃止2ヶ月前に乗りました。始発で往復したせいか、下り列車の客は私1人…そりゃ廃止になるわ、と思った😵
美深~仁宇布を先行開業せずに、美深~北見枝幸間をもっと早い時期に一気に開業できていたら、天北線よりは生き延びられたかな・・・などと勝手な想像をしますが、道北の鉄路は宗谷本線だけ、しかも名寄以北は単独では維持困難という現状を見ればどの道存続は無理ですね・・・
美幸線
北見枝幸まで乗ってみたかったです。
廃止2年前の夏休み、名寄に泊まって朝1番の直通に乗った思い出があります。他からの接続がないのでファンらしき人もいませんでした。懐かしい動画、ありがとうございます
動画が気軽に撮れる時代ではなく、わずかばかりの音声ですが、遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
美幸線が線名通り北見枝幸行きと言う放送も聞いて見たかったです。ほかは乗り換え案内の急行なよろとか懐かしく感じました。
いつかは北見枝幸まで繋がるものと思ったものでしたが、夢と消えてしまいましたね。
工事も大分進んでいたようなので残念なことです。
貴重な音源ありがとうございます。
私は昭和60年8月に美幸線に乗りに行きました。乗車前に当時の長谷部美深町長にアポイントを取ってお話を伺ったことは貴重な思い出です。
それはまた貴重な体験を。
積極的に行動されたのですね。
いつも懐かしく拝聴させていただいております。道内時刻表とともに拝見しておりますが、過去に自分が辿った航跡を思い出しております。今回は「なよろ4号」に目が止まりました。稚内から天北線724Dで浜頓別‐北見枝幸、宗谷バスを介して、雄武‐興部‐名寄へ、そして札幌直通の「急行なよろ?号」に乗り継いだことがありました。まだ「特急オホーツク」がなかった昭和46年8月の乗車です。なお、上下「急行天北」同志の交換は豊清水?だったかも。
昔の旅の記憶を思い起こして頂けましたら嬉しいです。「なよろ4号」の音声は物足りなかったことと思います。
天北の交換が豊清水との情報を有難うございます。録音当時はこんな形で公開できる時代がくるとは、まったく思いませんでしたが、記録は取っておくべきですね。
美深では「30秒停車」と案内していることから、遅れが生じ、停車時間を詰めている様子ですね。
当時赤字廃止路線の象徴のようになっていた美幸線。
映画ぽつぽやを見るたび国鉄美幸線を思いだします。
一度も乗ったことないですが映画で追体験しています。
こうして実在の記録が聞けてまたそのイメージが湧いてきました。
乗ったことがある人も、ない人も、人それぞれに様々な思いがあるのですね。
仁宇布から先の未成線にも、きっと人々の思いがあることと思います。
名寄本線の遠軽行き、深名線の放送などある名寄駅の放送いいですね。北海道の黄金時代を彷彿とさせます。
名寄本線と深名線があった頃の名寄は本当に「鉄道の街」という風格がありましたね。
今やそんな風格を感じる駅も少なくなりました。
嘗て日本一の赤字路線で有名だった美幸線の車内放送も貴重ですね。
当時の美深町長が東京で切符を売り捌いたエピソードが思い浮かんできます。
そんなエピソードも遠い昔の話になってしまいましたね。
宗谷本線だけでも存続してほしいものです。
待ってました!そしてグレードアップする画面編集。
この動画に釣られて?ついつい函館本線往復乗りに行ってしまいました。
わたしの番組に釣られたわけではないと思いますが、函館本線乗りに行ってきていいですね。
特に目的がなく、ただ乗るだけの旅も楽しいものです。
またまた たまらない音源ありがとう 毎回最高です
有難うございます。この程度の音源でも「最高」と言って頂ければ、やはり嬉しいです。
こんばんは 仕事があり書き込みが遅れてしまいました。
「美幸線」ですね。以前、北見枝幸に友人が住んでいました。
「美深」から「歌登」を経由して「北見枝幸」まで、開通していたら
オホーツク海側も今と違っていたのでしょうか。「興浜北線」「興浜南線」
かつながっていたら。と、想像してしまいます。
短時間でも「美幸線」の音声は貴重ですね。この当時は、赤字でも、まだ
列車を運行する余力がありましたね。
お弁当の包装紙とお弁当の中身が面白かったです。結構色々な具材が詰められて
いたのですね。美味しそうです。牡蠣・帆立弁当は豪勢ですね。
包装紙の国鉄の回数券の宣伝が面白い。
三寒四温 少しづつ春が近づいてきますね。あと、1か月もしないで桜の花が咲きそうです。
今回も楽しめました。ありがとうございました。
「記録」というより「娯楽」として作っていますので、楽しんで頂けましたら何よりです。
いつかは興浜北線・南線が繋がり、美幸線も北見枝幸に達するものと思っていましたが、かなわぬ夢となってしまいました。それどころか天北線までもがなくなってしまいました。
駅弁を開いて、食べる前に写真を撮ったりするのはデジカメを手にしてからだと思います。今はスマホで動画も撮れる便利な時代になったものです。
昔は駅弁の掛け紙に「お気づきの点は国鉄係員にお知らせください」などとも印刷してあったものでした。時代を感じます。
この頃は、「あさひがわ」なんですよね。懐かしい響きです。
配信、ありがとうございました。
内部でも「がわ」に統一されていたわけではなく、列車内では時々「かわ」という放送も耳にしました。
でもさすがに旭川駅ホームの放送は「がわ」に統一されていました。
道北民オッサンなので当時が良く思い起こされます。確かにあの時代、父ちゃん爺ちゃん世代みんな仁宇布を「にっぷ」と発音していました。あの頃は漢字表記とは明らかに異なる地元読みがいっぱいありました。東旭川は忠実に辿れば「ひざしあさいがわ」。寒冷地特有の、口の動きを最小限にした結果、文字と口調が現場で違う異様な環境という。
発音ひとつにも道北の厳しい寒さが伝わってくるようです。
廃線や廃駅巡りをされているひろりんさんの動画にて、天北線や美幸線の現在を知りました😀
この動画を拝見して、行ったことがないのに懐かしく感じられました😅
すでに遠い昔になってしまった天北線や美幸線。ほんの少しでも雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
まさかの美幸線!貴重な音源ありがとうございます。仁宇布には車で行ったことはあります。美幸線は廃止になるのは仕方がないにしても、天北線と興浜北線、興浜南線を繋いだ興浜本線、名寄本線はなんとか残してほしかったです。本当に国鉄時代に北海道に行って乗り回したかったです。
タイトルに「美幸線」と入れましたが美幸線の音はほんの少しですみません。
道北の路線もすっかりさびしくなってしまいました。なんとか残してほしかったというより、美幸線の仁宇布から先もなんとか開業してほしかったです。大分工事も進んでいたそうなので。
こんにちわ いつも楽しい動画ありがとうございます。
私は先だって、北海道新幹線に乗車し現在のJR北海道全線を完乗いたしました。
その間も江差線、夕張線、札沼線(北海道医療大学~新十津川)、日高本線(鵡川~様似)と
かつて乗車した路線が次々と廃止となり、思うことがあります。
「自分は真の完乗には足りないな」と思うようになったのです。
もう少し早くに北海道にいけていれば、私の最初の渡道はS62です。
もっと多くの路線に乗れたのではないか、当然美幸線もTVで何度も見た覚えがあります。
かつて、網の目のように走っていた北海道の国鉄路線
当時学生であった私は北海道へいく旅費もありませんでした(笑)
もう少し早く生まれていればと無茶なことを思ったり(笑)するときもありますが、
「急行宗谷」様の動画は私にとっての残された路線の乗車旅となっております
重ねて御礼申し上げます。長文失礼いたしました。🚄
こちらこそ丁寧なコメントを頂戴して恐縮です。
いつの時代でも、「もっと早く行くことができたら・・・」と思う気持ちは一緒ですね。
古い時刻表を眺めると、子供の頃の一人旅は無理ですし、乗ってみたかった路線、列車、沢山あります。
素人が安い機材で録音した粗末な音声ですが、画面に挿入した当時の時刻表などを眺めながら旅の気分に浸って頂けましたら何よりです。
名寄駅の発車のベルが電子音のチャイムなどではなくて本物のベルであるところは味があってイイですねぇ(^^ )。
この発車ベルもほとんど耳にすることがなくなりました。当時を知る者としては郷愁を感じたりもしますが、いまどきこんなベルを鳴らしたら「何か起きたのか・・・」と驚く人もいるかも知れませんね。
当時日本一の赤字線と言われていた美幸線
ついに乗ることなく廃止されてしまい、行くことはかないませんでした。
その時代に乗れたことがうらやましいです。
「美幸線」と言えば「日本一の赤字線」という言葉が必ず付くくらい有名になってしまいましたね。
年によっては「日本一の赤字脱却」で美幸線をPRしたこともあったと記憶しています。
@@急行-宗谷様
そういえば、日本一を九州の漆生線と争っていましたね。
全通できなかった美幸線の無念を歌にした動画を見ましたが、いつか全通した日の事を想像して思いをはせる歌詞に心が打たれました。世間から見たら、日本一の赤字線だとか、全通しても黒字なることはないと罵られた美幸線でしたが、町長が、自腹で入場券を買って、それを東京で売って、収益を全額国鉄に寄付するなど想いの熱かった美幸線、無理だとわかっていても、興浜線と一つになって、オホーツク海縦貫線になる日を見てみたかったです。
仁宇布から先の工事も大分進んでいたそうで、雑誌の記事などを見て、いつかは乗れる日が来るもの思ったものでしたが夢はかないませんでした。
美深線はいまは一部線路をトロッコで走れるそうですね。一度行ってみたいです。当時のことを思い馳せながら
行くことはできませんが、写真や動画は観ることができますね。
廃線跡にトロッコを走らせるのは利用法としては恵まれている方だと思います。
たった3駅でも21km、30分。
乗車した時に、案外長いなぁ、と実感したことを覚えています。
北海道は駅間が長いですよね。でも、ぼ~っと車窓を眺めていると時間はあっという間に流れていました。
私がキハ53系「天北」と美幸線に乗車したのはちょうど40年前の夏、高校1年時の一人旅でした。録音当時の美深駅は貨物取扱の側線や設備がたくさんあったのですね。「天北」の交換はわかりませんが、旭川~稚内の各駅停車321列車と324列車の交換が美深駅でした。
興浜線は、興浜南線からは宗谷バス乗り継ぎ、興浜北線と進み、浜頓別ユースホステルに宿泊しました。このあたりの思い出は強く残ってます。興部の駅弁も懐かしいですが、和寒駅で駅弁を販売していたとは。名寄駅のピヤシリ弁当、買ったことはありませんが名前に聞き覚えありました。
遠い昔の旅を思い出して頂けましたら嬉しいです。正にどの線区にも人々の思い出あり・・・ですね。
浜頓別ユース・・・懐かしい響きです。元気のいいユースとしてその名を轟かせていましたね。わたしなどは小心者なので逃げ腰になって泊ったことはありませんでした。ネットで調べたら2004年に閉館になったそうですね。
1日5往復の美幸線ですが、「上り天北」からだと美深で約1時間待ち、「下り天北」からだと約1時間半の待ち合わせで乗ることができました。2時間以下ならまあ好接続と言えますね。
美幸線が北見枝幸まで達していたら、「天北」に美幸線直通車両を併結・・・な~んて空想の世界ですが・・・
2:20車掌さんのアナウンス「にうぷ」じゃなくて「にっぷ」に聞こえますね。美幸線も乗りたかったですけど、枝線に時間使うより他にで、乗れませんでした。3:36美深駅スタンプは松山湿原だったんですね。松山湿原はバイクで行きました。5:45名寄駅ピヤシリ弁当の掛け紙、食べたことないですけど見れて嬉しいです。きのこごはんという駅弁もあったんですね。6:18牡蠣帆立弁当も美味しそうですね。これなら食べたかったです。厚岸かきめしは81年ホーム立売で食べられました。音のみならずスタンプと駅弁で当時の旅情を思い出せました。
「ピヤシリ弁当」は時刻表の駅弁案内ではただ「お弁当」とだけ記されています。中身までは覚えていませんが、普通の幕の内といった感じだったと思います。
この頃はコンビニ弁当などなかった時代ですから、「とにかく何か食事ができればいいや・・・」という感じで食べていました。
スタンプや駅弁の掛け紙など、過去に使った画像の使いまわしがが多くなっておりますが、旅情を感じて頂けましたら嬉しいです。
「全線開通しないから、日本一の赤字線になるんだ!」
(同時の美深町長の言葉...😢)
完成したら「日本一」ではなくなったかどうかは別として、乗ってみたかったです。
美幸線は結局北見枝幸まで開通出来ずに、そして北見枝幸が終点だった興浜北線も廃止になり、そして興浜北線の起点の浜頓別駅までもが天北線の廃止とともに消えてしまいました。何か虚しいですね.,.
未成線や、廃止になってしまった路線を思うと確かにその通りですが、宗谷本線さえも名寄から先は「単独では維持できない線区」とのこと。
自然災害などの被災を機会に廃止論が生じないことを祈るばかりです。
行った事もないのに「松山湿原」の名前だけは知っている。
「美深」から「歌登」を通って「北見枝幸」まで行ってみたかった。
完成した美幸線に乗ってみたかったです。
今は浜頓別経由ですら、列車で北見枝幸へ行くことはできなくなってしまいました。
美幸線に乗ったのは40年近く前。
辺渓駅から仁宇布まで、ずいぶん遠いなぁ、と思った記憶があります😊
仁宇布から先も開業していたらそんな長い駅間を楽しめたかもしれませんね。
天北線の小石~曲淵間が、途中に信号場もない駅間としては最長だったということもあり、道北の広さを感じます。
@@急行-宗谷 さん
急行「天北」号には乗ったことありますが、天北線には乗れませんでした。
普通列車で乗り通したかったです。
小頓別から枝幸行きのバスがありましたよね。
町営軌道の名残りでしようか?
ひょっとして歌登町営バスなんていうのが運行していたのかな・・・と思って時刻表を調べましたが宗谷バスでした。
宗谷バスです。
音威子府からの代替バスもなくなりました。
名寄といえば、平成生まれの
個人的には、ニシン•カズノコ弁当が、ここ最近の思い出ですね~。
いつかは食べたかったけど、閉業してしまい、食べられないと思っていた、名寄の駅弁。
ところが2019年の夏、風っこそうや号の期間、乗客の事前予約制で復活!
幸運な事に、弟が、10時打ちに成功して、
めでたく実食できました。
同封の紙によると、復活にあたり、現役当時、名寄の駅弁を担当していた、角舘商会様の多大なご協力があったようです。
長文、大変失礼いたしました。
名寄本線や深名線があった頃は名寄で乗り換えがあったので、名寄駅の駅弁にはお世話になりました。コンビニなどなかった時代でした。
「角舘商会」さんの名前を意識するようになったのはインターネットの情報によるものでしたが、よくぞ平成時代まで頑張っていたものだと思います。
イベントのお弁当作りに協力されたそうですが、願わくは後継者ができて復活すると嬉しいですね。
辺渓と仁宇布って15キロもあったんですね
いかに何も無い山の中を走っていたことか
山の中を走ろうとも必要があったから敷かれた路線だったのですね。
枝幸町で上がる水産物の輸送が期待されていたそうですね。
北見枝幸まで開業してたら違ったと思います。枝幸町は名寄以北では稚内に次いで第二の都市ですからね。
途中に歌登もありますし天北線よりも営業成績は良いはずです。赤字であることには変わらないですが。
そうですよね。仁宇布から北見枝幸までの工事もだいぶ進んでいたそうですからやめてしまうのは惜しかったです。
美幸線
備考線・ビコー線(競馬してるやつならわかる)
仁宇布線もあり。
自虐線だったなぁ
廃止2ヶ月前に乗りました。始発で往復したせいか、下り列車の客は私1人…そりゃ廃止になるわ、と思った😵
美深~仁宇布を先行開業せずに、美深~北見枝幸間をもっと早い時期に一気に開業できていたら、天北線よりは生き延びられたかな・・・などと勝手な想像をしますが、道北の鉄路は宗谷本線だけ、しかも名寄以北は単独では維持困難という現状を見ればどの道存続は無理ですね・・・
美幸線
北見枝幸まで乗ってみたかったです。